日記や雑記

たまには気持ちを吐き出して

2014年の6月12日、私のアフィリエイトが始まった日です

サイトを作ったのは6月の頭からで、アドセンスのライセンスを取ったのもそのくらい。

6月12日っていうのは、『作ったサイトにアドセンス広告を載せ始めた日』なんです。

最初は駄文10記事くらいだった

しかも、アドセンスのライセンスを取るためだけに作った、無料ブログ。

内容は今の自分とほぼ同じような設定の主婦が、日常的なことをつぶやいていくような当たり障りの無い内容でした。

ライセンスを取るには、それでいいと知ったので。

それでも、今までツイッターに垂れ流していたような自分のあれこれを、人に見せる文章を書くんだ!これで審査を通すんだ!と思いながらだと、自然と気分が高揚していったのを覚えています。

2日で10記事とちょっとを書いて、ライセンス審査を申請して、4日目に、OKの連絡が来ました。

4日目と言っても、朝方だったように思います。熱に浮かされたような感じで、「何か新しいことが始まるんだ!」って、すごくわくわくしていました。

そこから、サーバーとドメインを取って、シリウスをネットで買ってセッティングして、今のメインサイトを10~15記事くらい書いて、そしてアドセンス広告を14日に貼り付けたんです。

でも、プチ燃え尽きになって、ここから何をしていいのかいきなり見失いました。技術的なものなら、難しくてもネットで調べればわかります。でも、指針が無かったから・・・。

「なにか新しいことが始まる!」という冒険心だけを胸に持って、でも足をどちらに進めていいかわからない。

私にこの冒険心を与えてくれた人に直接聞いてみよう

今でも忘れられない衝撃でした。

職人っていう本業、大好きな本業なのに、生きていくのに苦しい。そして副業で軌道に乗ったという美容師さんの話。

私も職人ではないけれど誇りを持った保育士。でも主婦である今じゃパート位しか働き方が無くて福利厚生なんて皆無の薄給主婦。

なんだか妙に、妙に親近感があったんです。

そして親近感が持ったその人が、こうして雑誌に取り上げられるほどに成功していると。

すごく不遜なことに「それなら私にも出来るんじゃないかな」って、単純に思ったんです笑

話してみたいと思いました。でも、ただ聞くだけじゃダメだ、ノウハウってのは価値がある、教えてもらうには対価が必要だと思い、その方の情報商材を買いました。

最初から、コンタクトを取るために購入を決めたようなものです(ずるい

キリン式熱血指導!でここまでやってこれた


私にはセンスなんて1ミリもありません。

ついでに言うと根性もそんなにないです。あるのは自己顕示欲と、なにか特別になってやりたいという平凡な人生への足掻きだけです。

ついでに言うと人よりも美人になりたいし人よりも幸せでいたいし人よりも魅力的でありたい欲張りです。

自分や、自分の大事な人を守りきる力が欲しいと、いつも思っていました。

私の王国は、私でしか守れない。そのためには、大きな力がなくちゃいけないと思っています。それを叶えられる可能性が、アフィリエイトにあった。

だから、やりたいと思ったし、今日も記事を書いています。

「あなたが最終的にたどり着きたい目標は何ですか?」

ああしたいなあこうしたいなぁって、頭の中で、人は妄想する生き物です。私もそう、きっとみんなそうです。

モテたいとか、金持ちになりたいとか、好きなだけ寝たいとか。

でも、あまり人に聞かれることでもないし、たいていは心の中にしまっているはずです。欲望を表に出すことって、ちょっとはばかられるじゃないですか。

でも、強い動機は行動力に繋がるからということで、出してくださいって言われました。

強ければ強いほどいいと言われました。

そのとき自分が答えたのはこうです。

・アフィリエイトを自分の本業にし、自営業者になる。実家への仕送りや援助を自分の収入から継続する。
・旦那や子どものヘルスケアを惜しみなくやって行きたい(人間ドック、歯科矯正など)
・旅行を楽しみたい。

「なんでそれをしたいんですか?」

・雇われて自分の思いに不自由な選択をし続けたくないため。
・社会人的にはわがままに見えるかもしれないが、今まで不自由な選択をし続けて健康を害したこともあり、もうそういう状態に陥りたくないため。
・健康的に長く楽しく自分も家族も生活したいため(ヘルスケアに力を入れたい)
・自分が昔歯並びが悪くコンプレックスを強く持っていた。自分の努力だけではどうすることも出来ない強い負の要因だったので、子どもには「努力してもどうにもならない負い目」を感じさせたくないので。
・具合が悪いのに仕事を休めないという状況にもう追い込まれたくないので。自分の健康や、子供、家族の健康を最優先に動けるようでありたいので。

うちは私が小学校6年の頃から一人親世帯でした。借金はなかったとはいえ、裕福ではない生活を送ってきました。

それを後悔していませんし、母には感謝しています。離婚して、老後の蓄えなんて出来ずに学費を捻出して私と兄を進学させてくれた母。

私が高3、兄が大学1年のころに勤めていた医療検査会社の受付事務を一方的にリストラされ、熱を出して一週間寝込み『ヘルパーの資格取る』といってのっそり寝室から出てきたこと、今でも覚えています。

その後、母はその後全ての試験やテストで一発合格を続けています。

ヘルパー2級に受かり、介護事業所に勤めだし、ヘルパー1級、次は介護福祉士の資格を取り、今度は老人保健福祉施設に勤め始め、ケアマネージャーの資格と認知症専門士という資格も取り、肉体労働から抜け出し今はケアマネ&認知症のプロとしてOLさんのような服装でケアマネ事務所で働いています。

今年の年末には主任ケアマネの試験があると言ってました。

すげーよ母。

と、そんなつつましく生活していたのに、自己破産して離婚した父がその間何度も母にお金の無心にきました。これから保険代理店に勤めるから、試験を受けなくちゃいけなくて・・・など色んな理由で。30万とか一度にもって行きました。

母は、私や兄のお年玉貯蓄の、折りたたんだ千円札まで集めて父に渡してました。

子どもの私から見ても父は超だめんずです。口ばかりで軽薄で、見栄っ張り。

借金も、車のセールスマンだった自分の成績を上げたいがために、お客さんの車のローンの連帯保証人になり踏み倒されたものばかりでした。

そんなんだから、養育費もなんにももらっていませんでした。それでも母は父を信じて支えていました。

父方の祖父母の面倒だってあるから、そのうちまた一緒になるだろうと。

でも、父は若い女性とできちゃった再婚をしました。

それを、父方の祖父母は知っていました。母方の祖父母も何故か知っていました。母と私と兄だけが、知りませんでした。

初めて母が、わんわんと震えて泣いていました。「みんな私に内緒にしてのけものにした」と。

今まで母の涙を見たことが無かった私は、絶対に母が「私や兄を産んで、生きていて良かった」と思えるような人生を送らせてあげたいと、心に誓ったんです。

実家にいるころ、毎月家にお金を入れていました。そして、お嫁に行った後も母には仕送りを続けています。いつまで、いくらまでと決めていません。

今の私があるのは母の血のにじむような努力のお陰だから、母が亡くなるまで続けたいと思います。けどそれだけじゃあ、私の気持ちが治まらないんですよーー!!ww

「もっと、いい暮らしをさせてあげたい、生きてて良かったと思って欲しい」

今でも母は古い古い賃貸アパートに、猫と一緒に暮らしています。兄も今はそこで一緒に暮らしてくれています。

しっかり資格職ですけど、なんといっても福祉の仕事は安いんです。

いつかそこからもっといい住まいに住まわせてあげたいと、出来ることなら昔から夜景が大好きで、高いところが好きだという母のためにタワーマンションにでも住まわせてあげたいなんて半分夢みたいですけど兄弟で先日誓い合ったばかりです。

たどり着きたい目標の、「健康面」についても母を見て思ったことなんです。

悪いところがあってもなかなか行かないんですよ病院に。「行って、ガンとかあったら怖いし、どのみちそれならころっと死にたいから」って言ってます。

まだ恩返しがし足りないのに、死なれちゃ困ります。母は56歳。正直時間はあまりない。サラリーだともらえる給料はたかが知れてる。

でも、アフィリなら?・・・私は希望を持ってるから、続けているんです。

地味だった青春を取り戻している

家庭内では非常に円満で、仲の良い3人家族ですが、貧しかったことで、私はいくつか選べない選択肢を経験しました。

本当は高校で弓道部に入りたかったけれど、用具が高額であきらめざるを得なかったことがあって、「うちはなんでこんなに貧乏なの!やだもう!」と母に怒りをぶつけたことが一度だけあります。

すごく悲しそうな顔をされました・・・。

あと、最初に就職した保育園で「育ちが悪い」と理事長にいきなり言われて契約更新を切られたときは、「なんだこのやろう!貧乏だからって一人親だからって馬鹿にしてんじゃねーぞ!!」とその夜キレまくって家でワインを飲み干しました。

母には感謝しているけれど、多感な時期だったから境遇を引け目を感じることっていっぱいありました。

めちゃくちゃいじめられっこだったし。根暗だったし。厨二だったし。昔怪我をしたのが理由で、歯並びは悪かったし、持病があったり、足腰が弱くてよく膝を痛め、中学校から整骨院通いな女の子でした。

だから社会に出て、自分でお金を稼げるようになってから、反動のようにその頃できなかった青春をどんどん形にしていきました。

外科手術と1ヵ月半の入院が伴う歯科矯正をして、悪い活舌と見た目を治しました。

そして、バンドを組んで歌ったりしました。
ライブをする
ハードコンタクトだったのを、思い切ってレーシックを受けて、裸眼を手に入れました。
モンハンユアミ姿コスプレ
そしてコスプレしたり
博麗霊夢コスプレ
コスプレしたり

※元ネタが全部わかった人は友達になりましょう!

もっともっと、自分の人生を楽しみたい!

そう思ってた自分にとって、今の環境がすごく刺激的なんですよね。

自分の力で稼ぐ。なんて楽しいんだろう・・・!うまくいかなかったとき、仕送りが出来なくなったり、家計をまかなえなくなったりという心配がありました。

でも今は、妊娠してどのみち仕事が出来ない→辞めなくちゃならない→それならこういうチャレンジをしたい!!

それが私にとってのアフィリでもあります。

だから続いてるんですね多分。

北原さんは、特殊な技術やなんかを教えてくれるわけではありません。最新のダイエット理論をテレビで見て、「目からウロコ!」ということはあっても、北原さんの言葉に、特にそういうものすごい秘密とかはあまりありません。

着実に記事を書くだとか、モチベーションを保つための工夫だったり、メンタルを支えてくださるような事柄がメインでした。

正攻法を、ずっとマシンガンで背中から打ち続けてくれるような感じでした。

でも、新しいことにすぐ目が向きそうになったり、隣の芝生がやけに青く見えてしまいやすい私にとっては、それが何よりも支えになりました。

最初に書いたように、私にはセンスなんて1ミリもありません。

ツイッターの谷とよばれるような方々やその周辺には、○ヶ月で○○万行ったとか、1年で100万行ったとか、一般人からしたらきな臭いような、夢のような、そんな話が時折飛び交います。

ご多分にもれず、私も夢を見ます。でも、結果的に丸一年経って、アドセンスで4桁です。

2014年の6月から、2015年2月の末までは、フルタイムのストレスフルな保育士の仕事をやりながら。年明けには妊娠がわかり、体調不良で寝込むことも多かった。

3月からは、仕事を退職し、中身は伴っていないけれど専業になった。

フルタイムのストレスもりもりの仕事や、妊娠を言い訳にするつもりはありません。

それでこれしか出来なかったっていうのはきっと簡単です。

でも私は、家事をやりながらも、フルタイムで適応障害になるほどの仕事をしながらも、妊娠してつわりで1ヶ月以上寝込んでても、今6000円を越える現金をどこにも所属せずに毎月手に入れられるようになったっていう事が、とてもすごいと手ごたえを持っています。

『成果が出るのは、1年後とかですよ』『焦らないでね』

この言葉があったから。月の報酬が数百円の時期にも記事をかけたんです。1週間、2週間、0円というときにも腐らずにいけたんです。

(とはいえ、作業の波はありました!笑)

あと3ヶ月しないうちに、よっぽど事故がなければ私はお母さんになります。

私だけの時間は、私と子どもの時間となり、単純に作業は今より出来なくなるでしょう。

今日まで、勤めを辞めて収入が無くなった自分を「役に立たなくなった自分」と、頭のどこかで感じていました。

でも、あと3ヶ月位したら、「だれでもどこにも所属できない状況だけど月にアドセンスで6,000円くらいお小遣い稼げてる自分」に生まれ変われるんだなと思うと、それだけでもこの1年、ぼちぼちだけど頑張ってきた甲斐があるなと思います。

お小遣いから、収入へ、生業へ。

片手間から、来年度は個人事業主へ。

お母さんにいつかタワマンを買ってあげたい。

自分は、またハワイに旅行に行きたい。旦那と子どもと一緒に。

夢、叶うかなー・・・?

天才じゃないし、寝込んだり、ブルーになったり、なかなか作業量も安定できないから、ドカンと半年で50万とかは出来ないと思います。

それでもこれからも、自分に出来るスピードで、地道にやっていこうと思います。